昨日・今日と東北の被災地へ家族と一緒に出かけてきました。
今回は宮城県の南三陸町・石巻市・女川町・気仙沼市を訪問しました。

南三陸町の防災対策庁舎跡
今までは通過するだけでしたが、今回初めて庁舎で足を止めお花を献花してきました。
庁舎の下にはたくさんの千羽鶴やお花が手向けられていました。
庁舎を見上げると改めて津波が想像を絶する高さだったことを感じました。
この場所で最後まで命をかけ避難を呼びかけた職員の方も亡くなり、まだ見つかっていない職員の方もいるそうです。

今回は石巻市に宿泊しましたが、宿泊先の近くに春のセンバツ高校野球で甲子園に出場した石巻工業高校があったので、足を運んでみました。

朝の練習風景をバックネットから見ていると、選手宣誓をしたキャプテンの言葉が思い起こされ鳥肌が立ち泣けてきました。
大震災という極限を体験した者だけが持つ深みのある言葉で、自分より遥かに若い高校球児に勇気を与えられました。


甲子園でプラカードを持って入場行進していたマネージャーに遭遇したので、「応援しているよ!」と一声かけることもできました。夏の甲子園を目指している東北の高校全てを応援したいですね。

石巻市から東へ進むと女川町があります。
鉄筋コンクリートの建物がいくつも横倒しになっていて女川町も壊滅状態で行けども行けども瓦礫の山が続きました。
瓦礫を受け入れる地域が必要であることを感じます。
また港の海は青々としてきれいで穏やかな表情ゆえに、あの巨大津波は地元の人ですら想像できなかっただろうなと思います。

女川町を北に進むとまた石巻市に入ります。
そこには小学生74名、教員10名が亡くなったり行方不明になった大川小学校がありました。ここにも献花をし祈りをささげてきました。
現場は写真左手に川幅が200m以上ありそうな北上川の河口があり小学校からは川の堤防でまったく川は見えない状況でした。小学校周辺には家もたくさん建ち並んでいたそうなのですが現状をみると跡形もなくなっているので津波の威力が凄まじかったことが伺えました。

最後に三陸海岸を北上し、気仙沼市の内の脇保育所を訪ねました。
内の脇保育所は去年の夏、へいわ幼稚園の先生たちで訪問しスイミーのペープサートを上演し夏まつりのボランティアをしてきた保育所です。

今回、へいわ幼稚園の子どもたちが作った折り鶴やカード、お花玉で子どもたちの気持ちを保育所に届けてきました。

保育所の所長さんともお話ができましたが、「現状は足踏み状態です。」と以前より目に力がなく語られていました。
保育所近くにできた復興屋台村にも立ち寄り、地元のお店でも買い物をしましたが、会話に力がなく気力も限界にきているように感じました。

被災地の方はこの1年、心から笑えることもなかったでしょうし、我慢や辛抱ばかりして、ここに来て進まぬ復興に、更に口に出さない不安が大きくなってきているように思います。

「気仙沼を笑顔に」「気仙沼から笑顔を」というスローガンも目にしましたが現実は厳しいものがあると思います。
早く目に見える形で復興が進むことを切に願います。
今は「スピード感」が被災地には必要です。
進まぬ議会は被災者を苦しめるだけです。

今回、私の息子2人も被災地入りし、津波の爪痕を目の当たりにしました。
小さいながらにもたくさんのことを感じていたようです。
この子たちが大きくなる頃には、東北に笑顔が戻っていますように。

by 副園長